2012年01月10日
●死を終末観だけで評価するべきでないと教えてくれたのはチベット死者の書である。9世紀にチベット仏教ニンマ派の創始者パドマサンババ(पद्मसंभव)が重要な経典として埋蔵し、20世紀に米国人宗教学者ウォルター・エヴァンス=ヴェンツ(Walter Evans-Wentz)によって発見・英訳されたものである。
●おおよそ一千年もチベットの山中に埋もれていた経典がある日突然発見されることについて、そもそも埋蔵を積極的に行ったニンマ派では、そうした埋蔵された経典のうち人智の進化に応じて各時代に必要となったものは宿命的に発見されるものであり、そうでないものは必
要となる時代まで只管土の中や湖の中で永い眠りつくものであるということになる。要するにチベット死者の書についていえば、発見されるべくして発見された経典であり、その必要性は現代という時間軸の中で世界が必要としたということになるのである。
●私はこのニンマ派の埋蔵経典に関する考え方が非常に気に入っている。物理的には、ある偶然性がなければ二度と人の目に触れることがないものを、発見されること自体は偶然性を越えた必然性でとらえている。それは長い長い時間と歴史の中で登場する機会がくるまで、人知れぬ場所でずっと息を殺して待ち続けている仏教の経典がほかにも多数存在し、これからの時代の必要性に応じて順次発見されていくことを意味しており、なおのこと興味深いのである。
●世の中の出来事の多くは、現代という時間の中で発生し、同様の時間軸の中で風化・消失する。現代という地層で後世に延命することを許されるものはごく僅かである。が、必ずしも現代で一世を風靡したわけでもないものが、数千年の時間軸の中で評価され再登板の機会を得ることもある。非常にロマンチックで夢のある話ではないか。3連休最終日にふとそんなことを考えた。

2012年01月06日
●少なくともソビエト型の社会主義は二度と戻ってこないとは私も思うのですが、マルクス等が考えた資本主義が行き着く先、すなわち現代の成熟しすぎた資本主義の次の段階にはやはり社会主義経済というものがあるような気がするのです。自由という言葉を隠れ蓑にした”投機型経済”あるいは”超二極化社会””統治能力喪失国家”のようなものが資本主義の到達点なら、本質的な社会の問題解決にはつながらないと思うからです。少なくとも現在目の前にある世界経済は、白色巨星が終末的な段階に至って身動きができず自然死を待つような状況にあるといっていいのではないでしょうか。
●日本も世界も資本主義という言葉に酔ってきました。現代にいたっては、グローバル化・ボーダレス化というキーワードを触媒に、負のリスクをさらに世界レベルに拡大させつつありますから、事は以前にも増して甚大です。需要と供給は均衡せず、ただただ経済は縮小していく。無責任な国家の集合体の中心には何も存在せず、世界規模では何一つ統一した見解や行動を示せない。そういうのっぴきならない状況に来ているのです。
●現在の日本の政党政治にせよ、欧州共同体にせよ、ここまで機能不全にいたってしまっているのなら、いっそのこと次世代の経済体制として、グローバルレベルでの統制経済型社会を実現するということを志向するほうがよいのではないか。ユーロが市場最安値に迫ろうとしている新年早々の5日、私はそんなことを考えた次第です。


2011年12月30日
●元々の起こりは、フランス革命軍が声高に斉唱していたLa Marseillaiseに対して、オーストリアの国家意識と皇帝礼賛を企図して作られたという歴史的な経緯があります。国歌という意識が芽生え始めた時代の産物であるというわけです。
●面白いことに、この曲はその後、帝政崩壊後のドイツにも継承され、ワイマール共和国の国歌として延命します。歌詞は帝政時代から変化しますが、曲はそのまま残ったのです。またナチス時代には一番が公式のドイツ国家でしたが、第二次大戦でナチスが敗北した後は、無難な内容の三番だけが公式な国歌となります。誠に息の長い歴史と変遷の過程があったというべきでしょう。
●ただ、この一番の歌詞を覇権主義を意識させるからといって、それほど迄に禁じるというのも現代ではどうかと思います。冷戦後のドイツの過剰な自己否定の歴史だったといってよいでしょう。一番の歌詞は次のようなものです。Deutschland, Deutschland uber alles,Uber alles in der Welt,Wenn es stets zu Schutz und Trutze Bruderlich zusammenhalt.Von der Maas bis an die Memel,Von der Etsch bis an den Belt,
Deutschland, Deutschland uber alles,Uber alles in der Welt! 問題はこのマース川からメーメル川、エッチュ川からベルト海峡までという部分です。現在の国境とは相違する過去の領土をさしているという理由で、一番は不採用になっているということであるわけです。
●日本の君が代などはこの点、過去のままの形を残している点でかなり異なると思います。ドイツの場合はこの一番と二番が禁止され、現代では3番だけが残っているというわけです。1945年のベルリン崩壊からいい加減66年も経過して、なお自虐的な姿勢を持たざるを得ないというのはやや不自然に映ります。フランスの国歌La Marseillaiseがフランス革命のときの内容を今なお継承し、革命思想家の血塗られた過激な表現と隣国へのむき出しの敵意を表現しているということに比べると、隣国であるだけにこの国歌意識の持ち方の不公平感というのは何やら子供のころから納得できないところです。所詮歌の話とはいえ、現在の欧州の問題点の一端を表している出来事であるのかもしれません。
●さて今日は朝からBob Dylanを聞いています。一年の終わりに頭に思い浮かんだのは、スティーブ・ジョブズのことでした。この尊敬すべき人物が好んだBob Dylanの"Like a Rolling Stone"を、人通りの少なくなった住宅街でガンガンにかけております(沈黙している近隣住民の方がいたらごめんなさい)。
●しかし早い一年でした。あまりに多くのことがあったのでそのすべてをいまだに消化できていません。衝撃的すぎて、ただ只管に歩いたり、動いたりして、時を流し続けた歳月でもありました。じっくりと噛みしめるのはもっとずっと先、人生の終わりを迎える時までとっておこう、そんな気分で一年がたったというわけです。
●多くの人が同じ気分でいる今の日本、あるいは世界において、ジョブズの好んだ"Stay hungry, Stay foolish"という言葉、そしてBob Dylanの音楽が、新しい年に向けた人々の心に再び火をつけてくれる様な気がしております。ただひとえに自分らしい第一歩を!
2011年12月24日
●今年の6月に日本音楽財団が所有するストラディバリウス・”レディー・ブラント”がオークションで12億円ほどで競り落とされました。お金は東日本震災の復興支援に充てられるということで話題になった記事でした。ただ個人的にある種の驚きを感じたのは、この財団が十数挺ものストラディバリウスを所有しているということでした。財団のHPに記載されている貸借対照表によりますと、2010年現在の保有楽器の資産総額は約107億円で、そのうちストラディバリウスは16挺となっています。この楽器をこれだけ保管し、その貸与を行うということ自体素晴らしい事業なのだとは思います。しかし、噂に高いあの楽器の魔力のようなものを16挺分も保管するというのは、実際のところどのようなものなのかとふと思ってしまう部分があります。
●数百年間の間、著名な資産家や貴族等の手を何世代も渡り歩き、都度手にする音楽家を魅了し続けたこの楽器には、その一つ一つに魂があるといわれています。今回売却されたレディー・ブラントは、英国の詩人バイロン卿の孫娘が所有していたという由来のあるもので、その時点からでも既に300年近い歳月が経過しています。ババイロン卿のロマンチシズムを思い出すだけでも胸がいっぱいになりますが、その香りを更に何世代も、そして16挺も預かるというのは、どういうことのなのだろう。私はふとそんなことを考えました。死ぬまでに一度でもいいから手に取って演奏してみたいものです。






